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 宮沢賢治と僕3
2004年10月08日(金)
 詩的日記の「日記」という部分が司る意味はこの際置いておいて。詩的って一体何? という興味が僕の中で生まれてきた。とりあえず、色々な詩と呼ばれてる物を見てみようと思ったんだけど、まあピンと来ないわな。特にピンと来ないのは路上詩人系というか、にんげんだもの的な、ああいう詩は全く琴線に触れなかったしそれをやりたいとも思わなかった。あとレンアイの詩ね、女のコが好きそうな感じの、ちょっと暗めのやつね、僕は分からない。だけど、レンアイものというジャンルの詩はけっこう歴史が古い(短歌とか) きっと僕がレンアイをした事無いから分からないだけだと思う。
 なんとなく今の世の中で詩と呼ばれているものというのは、自分のレンアイ感情ややりきれない感情などを表すもの、あるいはすごい人生経験の中から紡ぎ出された含蓄のある言葉、などがポピュラーであるみたい。では自分はそんな豊かな感情を持っているかと、問われたら持っていないし、もちろん人生経験も超浅い、もうお手上げ、僕は詩に対してここで一旦諦めた感がある。
 
 作家としての宮沢賢治は知っていた、童話や幻想作家としてすごい好きだった。でも宮沢賢治の詩については「雨ニモ負ケズ」ぐらいしか知らなくて、これもまた路上詩人的にんげんだもの系だと思っていたので、僕は分からないだろうなと思っていた(実は「雨ニモ負ケズ」は宮沢賢治のメモ帳に書いてあった詩で死後発表されたらしい)。その後「春と修羅」という宮沢賢治が唯一生前に出版した詩集を見て考えを改めた。「春と修羅」の中に『心象スケッチ』という言葉が出てくるんだけど、それがすごい面白い試みというか、僕も心象スケッチをしたいと思った。とりあえず僕が説明するよりも、「春と修羅」の中から心象スケッチを説明している箇所を載せておく、というか春と修羅の中でもその箇所が一番良いんだけどね。

   序

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料(データ)といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

     大正十三年一月廿日
宮沢賢治

青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card1058.html
 
 何が良いって、超自由な感じがする所が良い。なんか宇宙塵とか言って言葉のチョイスがめちゃくちゃで、なんじゃそりゃって思うやん、でもなんとなく分かるようなとこがたまらない。言葉は本来もっと自由なものだと主張しているような感じを受ける。
 
 さらに宮沢賢治が生前に残した唯一の詩集「春と修羅」を読み進めていくと、何篇もの詩が続いているんだけど、毎回詩の終わりに日付が記されている事に気付く。そう、まさにこれは日記なのだ! 「春と修羅」というのは宮沢賢治の日記なんだと思った。まさに僕が思い描いていた「詩的日記」そのもの、宮沢賢治が現代に居たら……テキストサイトをやっていたとしたら……そのサイトのアバウトに「私という現象は――」なんて書いていたとしたら、果たしてどういった評価を受けていただろうか……。
 
 それで僕は早速やってみた、賢治にならって心象スケッチをこのインターネットでやってみた。結果は8月10日から8月31日までの過去ログを読んで欲しい、毎回唐突に頭にハイフンを付けた一文が出てきているのが分かるだろうか、その一文が僕の心象スケッチ。ほんとクソみたいな心象スケッチなんだけども、まあやっててちょっと楽しかった、本文の内容と関係あったり無かったり、どの部分に挿入するかなど遊べる要素がある。
 本来の心象スケッチはフィールドワーク(賢治は地質学者でもあったらしい)で自然の中をぶらり歩いて、そこから何か感銘を受けてアウトプットするっていうのが正しい方法だと思うのでそうするが良いと思う。いやそこも現代的にネットの中をフィールドワークするという意味でも良いかも、つまりネットサーフィンしてそこから何か感銘を受けてそれをアウトプットするのが現代の心象スケッチだと。(余談だけど、ネットサーフィンていう言葉は死語らしいと聞いたんだけど、そういうのを聞くと逆に使いたくなるので使ってみたw)
 
 心象スケッチを真似してみても思った事だけど、すごーい自由な感じがする。それはもう同じ時代の作家と比べても全然フリーダム、賢治の作品も自由なんだけど、賢治自身もすごーい自由な人だったんじゃないかと僕は思う。
 以下の文章を読んで欲しい、これは宮沢賢治が生前刊行した童話「注文の多い料理店」の序文の文章との事。
 
   序
 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはその通り書いたまでです。
 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
  大正十二年十二月二十日
  宮沢賢治

 
 どうよ? 超フリーダム! じゃない? 僕なんかはこれを読むとちょっと泣きそうになってしまう、なんか色んな事が些細な事で全てがすがすがしい事にすら思える、ような、ね。
 まあいいや、とりあえず今回はここまで、以下次回へ続く。
 
 ――予告――
 ・「宮沢賢治と僕1」の文章は今思うと間違いでしたと謝りたい
 ・批評とコミュニケーションの関係、それと情緒の関係、その三点の比
 ・つか、予告はあまり関係無い、信じるな
 ・黒田硫黄の「セクシーボイスアンドロボ」を読んだ。黒田硫黄の漫画は後になって読み返すとすごい面白いので、しばらく寝かせて後で読み返したい。文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞。

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